竹久夢二『東京銀座千疋屋の図案』 B3判

原画制作年 昭和初期 サイン なし(保証書付) 技法 ジクレー版画 用紙 ドイツ製高級画紙 作品本体サイズ(縦×横) 51.5×36.4cm 額仕様 ブラウンウッド 額寸 60.5×45.4cm エディション 限定200枚 お届け期間 15〜20営業日以内に発送予定 ご注意 モニター環境により、実際の商品の色合いと多少異なってみえる場合があります。

ご注意ください。

大正2(1913)年に日本初のフルーツパーラーを開業した銀座千疋屋は、最先端のスポットとしてモガ・モボの人気を集めた。

夢二は昭和初期、銀座千疋屋の広告デザインや、広報誌『fruits』の表紙等の仕事を手掛けている。

果物の色や形態を明快な色彩と形状で図案化し、さらに独特のレタリングを組合せて、モダンで都会的な果物店のイメージを表現した。

夢二は千疋屋以外にも百貨店や映画館、レコードや化粧品等の様々な商業美術も手掛けており、グラフィック・デザイナーの先駆けとしても才能を発揮した。

© 竹久夢二美術館イメージアーカイブ/© DNPartcom 竹久夢二 Takehisa Yumeji 画家・詩人。

岡山県生まれ。

本名、茂(も)次郎(じろう)。

早稲田実業学校在学中より雑誌へ投稿し、明治38年末にデビュー。

以後コマ絵や挿絵を数多く発表し、センチメンタルな独特の女性像は「夢二式美人」と呼ばれ一世を風靡した。

画壇に属さず、日本の郷愁と西欧のモダニズムを自在に表現した作風で、日本画・水彩画・油彩画・木版画などを制作。

大正3(1914)年には「港屋絵草紙店」を開店させるなど、デザイン分野にも力を注いだ。

また「宵待草」他、詩や童謡も数多く創作し、57冊の著作本も残している。

昭和6(1931)年からアメリカ、ヨーロッパを旅するが、帰国の翌年、昭和9(1934)年に長野県の富士見高原療養所にて肺結核により没した。

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